段幕

あちこちに載ってますが・・・。
一昨日の京都戦で、ミヤザの段幕が持ち去られたこと。
白昼堂々、しかも大衆の面前で、そんなことが起こるなんてっ!!(怒!)
FC東京を応援している人の中に、
そんなふとどき者がいるなんて思いたくないけど。
段幕を出していない人も、好きな選手の幕を見つけて嬉しくなったり、
その幕に自分の気持ちを託して応援してるもんだと思う。
フラッグにしてもそうだけれど、
ユニークで楽しいフラッグ見つけて喜んだり、
鼓舞する言葉を見つけて、自分の気持ちも盛り上がったり。


選手の側から見るとどうなんだろう・・・。
ナオが、怪我の直後『俺たちはナオを待っている』の段幕を見て
嬉しかったと書いていたように、
やっぱり励みになっているんじゃないかな。
段幕はサポーターが自主的に好きで作って貼っている物で、
神聖化するつもりはないけれど、
幕もフラッグも、その人の物であって、それだけじゃない。
私たちの気持ちの象徴。
それを大事にする暗黙の了解も、時には踏みにじられちゃうなんて。
持ち去った人の心情はわからないけれど、
どこかで、応援する気持ちが捻じ曲がって、
境界を越えてしまったのかもしれない。
幕を持ち去らないまでも、
純粋な気持ちが、いつの間にか行き過ぎたり
曲がったりしないようにしなくちゃ、と思いました。


  いつ見ても、この風景美しい